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とうざいりょうぶんめいのちょうわをろんじてていこくのしょうらいにおよぶ
東西両文明の調和を論じて帝国の将来に及ぶ
大隈 重信
東京神田共立女子職業学校で開催された講演会における講演、1916(大正5)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,787 字 · 14 页
〔開国と欧州文明の受容〕
たまたま我が嘉永六年、即ち西紀一八五三年米国使節ペルリ来って、時の将軍〔徳川〕家慶の耳元に一大砲声を放った。ここに長い間の昏睡状態は破れた。目醒めてみると、三百年前の文明とは全然趣を異にせるものが存在していた。将軍もほとんど為すところを知らなかった(この驚きのために将軍は死んだのだと世間では悪口をいうが、まさかそうでもあるまい)。其処で一般諸侯に、国を開くか防ぐか、平和か戦争か、開国か鎖国かの是非を訴えた。然るに議論百出してその帰趨を知らず、且つ内は将軍〔徳川〕家定襲職のために繁忙を極めて、確たる外交方針を定める暇がなかった。しかし外の力は偉大であって、時局は益々急を告げ、ついに安政元年(西紀一八五四年)ペルリに対し神奈川条約を以て国を開くこととなった。これ日本が再度欧州文明に接することの出来るようになった新紀元である。これに続いて露国、英国、仏国も来って通商を求めたので、安政条約が締結され、安政五年日本を外国に開放することになった。日本今日の文明は実にこの時に始まったものである。
〔開国と欧州文明の受容〕
さて、然らば外来の文明は如何にして受け入れられて来たかというに、初めは排斥運動、即ち排他運動をなすのが一般国民の心理状態である。