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くわのきものがたり

桑の木物語

山本 周五郎

「キング」大日本雄辯會講談社、1949(昭和24)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,815 字 · 79 页

青空文庫

「――見て下さい」

悠二郎は聞えぬ態で、こう云って正篤のほうへ口をあけてみせた。正篤もおれのはどうだと口をあけた。二人は遠い日の向島の出来事を思いだし、互いの黒く染まった口を見ながら、両方でいっしょに笑いだした。――これはおろかしい所業である、三十にもなる男が二人、そんな子供だましなことをしなくてもいいではないか。慥かにそうだ、慥かにこれはおろかしい光景である。しかし二人にはそうして話すほかに、言葉を交わすことができないのである、桑の実は古い思い出でかれらを結び、桑の枝葉は今、あまりに明らさまな感動を隠して呉れる。それなしには、二人とももっと恥ずかしい、やりきれない場面を演じなければならないだろう。

「漸く暇が出来るようになった」

正篤は次の木に移りながら云った。

「これからは時々来るがいい」

「舟仙へもおいで下さるときがまいりましょうか」

悠二郎も次の木へ移ってゆく、お互いに顔を見られたくないらしい、繁った葉の、暗がりの中から正篤が明るい調子でこう答えた。

「うんゆこう、いつか、もっとさきになって身に暇が出来たら、――おれは長命するぞ悠二郎」

「私がそう申上げた筈です」