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うめづしえんおうでん

梅津只円翁伝

杉山 萠円

「福岡日日新聞」1934(昭和9)年4月14日~5月31日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 65,582 字 · 130 页

青空文庫

その渾然たる高風の如何に凡を超え聖を越えていたかを察する事が出来るであろう。

明治二十五年(翁七十六歳)九月、先師喜多能静氏の年回(二十五回忌)として追善能が東都に於て催さるる事となった。

当時東京では喜多流皆伝の藤堂伯その他の斡旋により、現十四世喜多流家元六平太氏、当時幼名千代造氏が能静氏の血縁に当る故を以て弱冠ながら家元の地位に据わり、異常の天分を抽んで、藤堂伯その他の故老に就てお稽古に励んでいた。しかも前記の通り家元として伝えられた能楽の用具は僅かに張扇一対という、全然、空無廃絶に等しい状態から喜多流今日の基礎を築くべく精進し初めている時代であった。

ところで、その能静氏の追善能に就いては只圓翁にも上京してくれるように喜多宗家から度々掛合って来たので、翁は無上の名誉として上京したが、早速藩公長知公の御機嫌を伺い、喜多家へも伺ったところ、その後、千代造氏(六平太氏幼名)と、翁と同行にて霞が関へ出頭せよという藩公からの御沙汰があった。

ところが出仕してみると華族池田茂政、前田利鬯、皇太后宮亮林直康氏等が来て居られて、色々とお話の末、池田、前田両氏が親しく翁を召されて、「新家元、千代造の輔導の大役を引受けてくれぬか」