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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
04 第四部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页
「すぐに屋敷へお帰りか」と甲斐は主水に呼びかけた。
「そのつもりです」
「もしほかに用がなかったら、案内をしてもらいたいところがあるのだが」
主水は訝しげに甲斐を見た。
「歩いて下さい」と甲斐が云った、「千本杉とかいうところをご存じでしょう」
「知っています」
「そこへゆきたいのだが、人に見られては困る」と甲斐が云った、「どこで待ち合わせたらいいか、考えて下さい」
二人は詰御門から出て、鼓楼のほうへと、ゆるい坂道を歩いていた。
「長徳寺を知っておいでですか」
「川向うですね、知っています」
「あの境内がいいと思います」と云って、主水は甲斐の表情をうかがった、「しかし、どうしてあんなところへいらっしゃるのですか」
甲斐はその問いには答えずに、一刻のちにそこで会おう、なるべく人眼につかぬようにと云い、鼓楼の前で主水と別れた。
もう午後三時に近いだろうが、乾いた道の小砂利から、かげろうの立つほど、陽ざしが強く、到るところの樹立で、蝉がやかましく鳴ききそっていた。時刻が時刻なのであたりに人の姿もなく、土堤の斜面に六七人、庭方の小者らしい男たちが芝を刈っていた。甲斐は扇子で陽をよけながら、寅ノ門をぬけて、大手門のほうへゆっくりと歩いていった。