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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

闇夜の匂い

――草の擦れる音を聞きつけた十左衛門は、柄杓を置き、ふところ紙を出して顔を拭いてから、杖を取って立ちあがった。

「勘五郎か」と十左衛門は呼びかけた、「勘五郎、おれはここだ」

闇夜の匂い

甲斐が大町の屋敷へ帰ると、片倉隼人が「涌谷から密使が来ている」と告げた。甲斐は頷いて、風呂へはいる、と云い、そのまま居間のほうへいった。居間には行燈がついていて、その脇のところで宇乃が、甲斐の着替えを揃えていた。

甲斐は中の間と境の襖際に立停って、ちょっと不審そうに宇乃を見た。宇乃は眼をあげて微笑し、それから挨拶を述べた。

「宇乃か」と甲斐が云った。

宇乃は甲斐を見あげてまたたきをした。

「見違えた」と甲斐が云った、「たいそうおとなびて見えたので、誰かと思った」

宇乃はおっとりと微笑し、肌着と合わせた紺染め木綿の単衣を取って立ちあがった。

「帯刀さまが落ち鮎を釣っていらっしゃいましたの」宇乃はいつものゆっくりした口ぶりで云った、「仙台へお届けしたいと仰しゃいましたら、おばあさまが、わたくしにいって来いと仰しゃいました」

「もう鮎がくだり始めたのか」

「美しい、みごとな鮎でございますわ」