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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
04 第四部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页
しかしそれがいま、彼の鼻先へつきつけられたのだ。
――兵部の手から出たな。
そう思ったが、念のためしらべさせると、彼自身のものが紛失していた。ほかにしまい忘れることはない。あの証文は彼の寝所に付属した納戸の、その文庫にしまったのだ。その文庫にしまった記憶に誤りはない。にもかかわらず、その文庫の中から、その証文だけが無くなっていた。
――なに者が、いつ、どうして。
その納戸は寝所の隣りで、男たちの出入りすることはない。係りの老女か、彼と寝間をともにする女のほかに、その納戸へはいったり、文庫の中を捜したりすることのできる者はなかった。
――どの女だ、いつのことだ。
雅楽頭は女たちを思いだそうとしたが、むだだということにすぐ気がついた。側室ときまっている者をべつにすると、かすかに覚えている女だけでも二三にすぎない。その夜そのときの気まぐれに、寝所へ伴れこんだ侍女は少なくなかった。一夜きりの者もいるし、二夜、三夜続いた者もある。それらの中にはいまでも勤めている者があるだろう、だがいとまを取って去った者もあるに違いない。
「むだだ」と雅楽頭は呟いた、「証文が彼の手にはいっているのに、女の詮議をしてなんのたしになるか」