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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

「なにを射ったんだ」

ふじこは七十郎を見返して、お客さんにはわからないだろうが、と断わり、それから、鹿を射ったのだと答えた。

「鹿だって」

「くびじろっていう大鹿です」とふじこが云った。

その鹿は、何年ものあいだ、甲斐が追っていたもので、ようやく吹雪の中で追い詰めた。しかし、いざというときに、甲斐の弓の弦が切れて、甲斐はくびじろの角にかけられた。もう一と突き突かれたら、命はなかったであろう。その刹那に、久兵衛がくびじろを射ったのである。甲斐を覘って跟けて来た久兵衛が、甲斐を射たずに鹿を射った。それで甲斐が怒ったのだ、とふじこは語った。

「命を助けられたのに、原田はどうして怒ったのだ」

「殿さまは御自分でくびじろを仕止めるおつもりだったんです、何年も何年も追っていらしって、追っていながら情愛をもつようになられたんです、くびじろには誰も手を出すなって、よくそう仰しゃってましたし、罠や鉄砲なんかでなく、いつも弓で正面から向かっていらしったんです、だから、久兵衛なんぞの鉄砲で殺されたのが、よっぽど哀れに思われたのでしょう、どうしておれを射たなかった、とたいそう大きな声で怒られたそうですけれど、わたしたちはそれを聞いて、すぐに殿さまのお気持がわかったですよ」