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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

「人心惟危、道心惟微、惟精惟一、誠厥執レ中。又云、殺すべくして、恥しめべからず。又云、内に省みてやましからず、是予が志也。食を断ちて三十三日にこれを書す也。罪人重孝」

堀内惣左衛門が、朝粥の客のすっかり帰ったことを知らせに来たとき、甲斐は庭のほうを眺めていて、

「雨になりそうだな」と呟いた。

惣左衛門はようすをみに来たのであった。七十郎が死罪になったことを、辻村平六から聞いていたので、甲斐がどんなにまいっているか、およそ推察することができた。――七十郎が絶交の宣言をしてからも、甲斐の七十郎に対する好意は少しも変っていなかった。去年からの「席次の争い」の経過を、遠くからじっとみつめているようすにも、ときとして、あまりに心痛の色があらわにみえるので、そばにいる者のほうが、眼をそらさずにはいられないくらいであった。

――どんなにまいっていることだろう。

そう思い、時を計ってようすを見に来たのであるが、庭を眺めている甲斐の顔は静かで、やや尻下がりの、眩しそうに細められた眼にも、つねと変りのない、穏やかな色しか見られなかった。

甲斐を圧倒していた感情が、少しずつ変っていたのである。