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むさしの
武蔵野
山田 美妙
「読売新聞」1887(明治20)年11~12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,798 字 · 26 页
世にいじらしい物はいくらもあるが、愁歎の玉子ほどいじらしい物はない。すでに愁歎と事がきまればいくらか愁歎に区域が出来るが、まだ正真の愁歎が立ち起らぬその前に、今にそれが起るだろうと想像するほどいやに胸ぐるしいものはない。このような時には涙などもあながち出るとも決ッていず、時には自身の想像でわざと涙をもよおしながら(決して心でそれを好むのではないが)なお涙が出ることを愁歎の種としていろいろに心をくるしめることがある。
だから母は不動明王と睨めくらで、経文が一句、妄想が一段,経文と妄想とがミドローシァンを争ッている。ところへ外からおとずれたのは居残っていた(この母の言葉を借りて言えば)懶惰者、不忠者の下男だ。
「誰やらん見知らぬ武士が、ただ一人従者をもつれず、この家に申すことあるとて来ておじゃる。いかに呼び入れ候うか」
「武士とや。打揃は」
「道服に一腰ざし。むくつけい暴男で……戦争を経つろう疵を負うて……」
「聞くも忌まわしい。この最中に何とて人に逢う暇が……」
一たびは言い放して見たが、思い直せば夫や聟の身の上も気にかかるのでふたたび言葉を更めて、
「さばれ、否、呼び入れよ。