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しぶやけのしそ

渋谷家の始祖

宮本 百合子

「中央公論」1920(大正9)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 68,023 字 · 133 页

青空文庫

周囲の勧誘と、自らの動揺が強ければ強いほど、運命の、あの悪辣な係蹄を思う正隆は、命に懸けんばかりにして、あらゆる申出を拒絶した。そして、人々の侮蔑の混り合った憐愍のうちに、甥に当る人佐々義一の家庭に移り住んだ。丁度その頃、佐々の当主が、海外視察に派遣されようとする時であったので、主人より年長者である正隆は、言を換えれば、無人な留守の番犬として迎えられることになったのである。正房を、親戚の一人に委ねて、正隆は、明るい、幸福な家庭に、ポツリと薄黒く汚点(しみ)のような姿を現したのである。

壮年の主人を戴いた若い佐々の家庭は、総ての隅々にまでも、見えざる歓喜、聴えざる歓声が漲っているような、光明に包まれていた。事業に於て、着々と進むべき道程を進んでいる主人と、まだ三十を僅か越した豊艶な夫人と、一人ずつの男と女との子供達、それに召使いを混ぜて、朝から晩まで、笑い声の絶えないような環境に、燻(くすぶ)った、澱んだ正隆の魂が投(ほう)り込まれたのである。

誕生の時から老年に近い今まで、嘗め殺しもしかねない未亡人の愛に浴して、勿論正隆は、優しさとか、親切とかいう感情には、充分飽満していた筈である。