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こはん
湖畔
久生 十蘭
「文藝」1937(昭和12)年5月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 24,180 字 · 47 页
失踪と言い準死とは言ッても、俺のような身分の者にたいしては、簡単に事を済ましてくれぬ。事後、思わぬ煩いが惹起ッて、貴様に累を及ぼしてはならぬから、適当な時期に死亡の認定が得られるよう、その方の処置もしておいた。俗見の傀儡同様だッた俺の半生を諷刺し、俺を悲運に沈湎させた卑小な気質に報復するのに、これこそは恰好な方法だと思った。のみならず、それによッて貴様は七年の失踪期間を待たずに家督を相続することが出来、俺は速かに社会から忘却せられる便利があるからである。
俺は自筆証書で松尾治通を後見人に指定し、保佐人を従兄振次郎に依嘱して置いた。どちらも廉直親切な人物だから、それらの庇護によって蹉跌なく丁年に達するものと思う。二歳にもならぬ幼少の貴様を捨去るのは情において忍びぬが、これも止むを得ぬ。俺と情人の新生活内には、何者も介在することをゆるさぬ。但し、捨去るために貴様を生んだのではない。貴様は母の愛とホープによッて出生した。それ等の事情はすべてその後に生じたのである。俺は子にたいする父の礼儀として、こうなるまでの事情を仔細に書きつけておく。
俺は慶応二年正月、奥平正高の継嗣として長坂松山城内で生れた。