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ねこすてざか
猫捨坂
豊島 与志雄
「新文学」1948(昭和23)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,043 字 · 21 页
坂下の或る門灯の光りが、ぼんやり見えてるきりで、坂全体が薄暗い。洞窟内の異様な臭気が、ふっと洩れてくるらしいこともある。ばかりでなく、焼け爛れた死体の髑髏や肋骨や腕や脛が、ふらりとさ迷い出てくるのだ。
坂は急で、通路の御影石の敷石はすべすべである。或る晩、荒物屋のお上さんが、転んで、足首を挫いた。
噂によれば、お上さんが坂を下りていると、どこからともなく声がしたという。
「早く行け、早く行け。」
おや、と思うと、また声がした。
「早く行け、早く行け。」
ぞーっとして、足を早めた。とたんに、転んだのである。
また或る晩、坂上の近藤さんの女中が、転んで、肱と膝とをすりむいた。
風呂屋からの帰りに、坂を上りかけると、声がしたのである。
「早く行け、早く行け。」
はっと思って、坂を上ってゆくどころか、引っ返そうとした。とたんに、転んだのである。
それらの声は、勿論、慴えた神経から来る幻覚であったろう。だが実は、俺にもそういう経験があるのだ。
母がまた疼痛に苦しみだし、頓服の鎮痛剤があいにく無くなっていたので、夜分ながら、医者のところへ薬を貰いに行った。猫捨坂を通るのが一番の近道だ。