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ねこすてざか
猫捨坂
豊島 与志雄
「新文学」1948(昭和23)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,043 字 · 21 页
「早く行け、早く行け。」
むしろ世界中がどっかへ行っちまえ。
その猫捨坂にも、体を休めてる女がいた。縞目も分らぬぼろぼろな上衣の、襟や袖口をくつろげ、下半身は黒いモンペできちっとくるみ、素足に片方だけ下駄をはき、片方の下駄は足先にひっくり返り、片腕を枕につっ伏しがちに、粗らな草の地面に寝そべっている。皮膚は泥や埃にまみれ、髪は赤茶けて乱れている。死んでるのかとも思われるが、かすかに息はしているらしい。いつまでもそのまま動かない。行き倒れて、眠りこんでしまったのであろうか。初秋の陽光が足先にだけ当っている。
その日当りの中に、この坂でよく見かけるような仔猫が一匹、黒ぶちの毛並も薄い痩せほうけた体を、よたよたと動かして、女の下駄のあたりを嗅いでいた。鳴いているようだが、その声もか細くて殆んど聞えない。仔猫は下駄のあたりから、女の足先の方まで辿りつき、また暫く嗅ぎまわり、それから草の中にぐったり顔を伏せてしまった。
それだけのことを、俺は正午すぎに見た。夕方、ふと気にかかるので行ってみると、もう女も仔猫もいず、坂は薄ら寒く暮れかけていた。地下室を囲った古板が、暮色よりも一層黒ずんで見えた。