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ごくちゅうへのてがみ
獄中への手紙
宮本 百合子
11 一九四四年(昭和十九年)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 174,521 字 · 344 页
そのときちょっと口のところに指がふれました。その指が非常に冷たくなっていました。いつもは暖い、顔にちょっとふれて感じない老齢の指先なのに。国民にとっての歴史的な局面感が、こういう鋭い、小さい、活々とした感覚に集約されて表現された、ということは何と印象深かったでしょう。小説はここに在る、と思ったことです。おそらく一生忘れられないわね。思い出というものは、こんなちいさいしかも決して忘れることのない粒々によって貫かれたイルミネーションのようなものなのね。いろいろな色どりがあります。そして、一つがふっと光ると、次から次へと、灯がのびてゆくのね。
きのうは、あの夕立と雹の嵐を見ながら十年の夏を思い出して居りました。ゴミゴミしてくさいところにいて、疲れのため、遠い夏空に立っている梧桐の青い筈の葉が黒く見えていました。同じような夕立のふった午後、わたしは打たれて膨れた頬っぺたを抑えて、雨と雹との眺めを見て居りました。それからとんで、わたしは何を思い出したとお思いになって? 可愛い仕合わせな汗もたちのことを思い出しました。
みんな薄赤いその汗もは、仕合わせものたちで、パフに白い粉をつけたのを、不器用らしい器用さで、パタパタとつけられました。