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もうもくものがたり
盲目物語
谷崎 潤一郎
「中央公論」1931(昭和6)年9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 75,341 字 · 148 页
応レ招云々」
○志津ヶ岳合戦事小須賀九兵衛話には清洲会議を安土に作る、当時「挨拶及相違て柴田と太閤互に怒をふくむ其時丹羽長秀太閤と一処に寐ころひ有しか長秀そと足にて太閤に心を付太閤被心得其夜大坂へ御かへり云々」佐久間軍記には「秀吉其夜屡小便ニヲクル」とあり然れどもこれらのこと甫庵太閤記等には見えず不審也
○蒲生氏郷後室の墓は今京都の百万遍智恩寺境内に在り、寛永十八年五月九日於二京都一病没、行年八十一歳、法名相応院殿月桂凉心英誉清熏大禅定尼、秀吉此の後室の容顔秀麗なるを知り氏郷の死後迎えて妾となさんとしたれども後室これを聴かず、ために蒲生家は会津百万石より宇都宮十八万石に移さる、委しくは氏郷記近江日野町誌を可レ見
○三味線は永禄年中琉球より渡来したること通説なれどもこれを小唄に合わせて弾きたるは寛永頃より始まる由高野辰之博士の日本歌謡史に記載あり尤も天文年中既に遊女の手に弄ばれたること室町殿日記に見え好事家は早くより流行歌に用いたる趣同じく右歌謡史に委し、此の物語の盲人の如きも好事家の一人たりし歟、予が三絃の師匠菊原検校は大阪の人にして今は殆ど廃絶したる古き三味線の組歌を心得られたるが其の中に閑吟集に載せたる「木幡山路に行きくれて月を伏見の草枕」