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しゃかいじひょう
社会時評
戸坂 潤
「文藝春秋」1933(昭和8年)年6月~1937(昭和12)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,408 字 · 380 页
たということは、或いは本望であるかも知れぬ。こういう「職責」のためならば、小学校の先生は学習書事件ばかりではなく、まだまだ色々の「不正」をやっているので、例えば秘密な補習教育とか準備教育とかによって、思いがけない莫大な収入を月々勘定に入れている先生は到る処にあるだろう。
労働者は仕事がないから怠けざるを得ないが、小学校の先生は中等学校の入学試験があるから「勤勉」であらざるを得ない。そして勤勉にすれば金が儲かるということは、立派な道徳なのである。
併し小学校校長問題は学習書問題を糸口としながら、次第に人事移動問題に移動して行くようである。校長は最も多く贈賄した部下の訓導を首席につけ、視学や市区町村会議員や府県会議員に贈賄する。(代議士は偉ら過ぎて効き目はないそうであるが。)或いは最も多く贈賄した者が校長になる。視学や議員それ自身が贈賄の所産で又収賄一般の主体だから、この贈賄は仲々有効だと云わねばならぬ。こうやって一旦校長になったが最後、例の学習書が待ち受けているという段取りである。
もし之が本当ならば、これこそ本当の賄賂問題になるわけだが、併し同時に之は決して校長先生だけの賄賂問題ではなくなる。