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しほんたいへいき

私本太平記(一)

吉川 英治

吉川英治『私本太平記(一)』。同一底本的分册已合并为一书。收入:私本太平記、私本太平記。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 246,214 字 · 495 页

青空文庫

――義貞はその間も、お互いの幼時の記憶を持ち出しては、頻りに無口な尼へ話しかける。その隔意のなさに、彼女もふと、

「このような御機嫌ならば」

と、はや義貞の胸に、願いは、ききとどけられていたような錯覚もつい抱いた。

館の北庭に、いまは使われてない古い女御所づくりの一亭があった。彼女は、義貞に請うて、

「あの離亭にて、お待ちしておりますれば、どうか明朝には、吉い御返辞を」

と、かさねがさねの手をつかえた。

すると、義貞は、

「評議の末、どうなるかは、計られぬが、まあお待ちやれ」

と、また俄に口を濁して、奥へかくれた。

ああそうだった……と、草心尼は後では思う。まだ、ひきうけたと、義貞がちかってくれたわけではなかった。ただ返辞は明朝に、といったまでのこと。わるくとれば一片の世辞だったかも分らない。

「もし、このことが、調わずに終ったら」

思えば重すぎる使命。そら恐ろしい心地に打たれる。あらしの中に一夜を待つような不安だった。

さなきだに、そこの、古女御所は冷え冷えしていた。明り窓にはクモの巣が見え、小机、櫛匣などの調度も、何代前の女人の用具やらと思われて肌さむい。