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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

13 黒白帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,638 字 · 233 页

青空文庫

ただ毎々、夢窓国師の斡旋が兄弟のあらそいを解いてくれた。が、そのひとも今はいない。

「…………」

尊氏は救われざる愚昧な弟子の身を、陣中で、師の訃に詫びたことであろう。あんなにも師の鉗鎚にたたかれてきた禅。毛穴の一つにもそれが体悟されていただろうか。恥かしい。

もう何もかも捨てよう。何もいらない。そう思う。

業の深いこの一個の凡身などは山林に余生をかくして末は鴉に食わせてしまうがいい。

深夜、尊氏はうなされるほどそう思う。だが、昼の陣座は彼をまったくべつな人間にした。むしろ時々彼の胸に忍び入る彼の真実のたましいを、その人間の両脚は摩利支天みたいに踏ンまえている姿だった。それが征夷大将軍大納言尊氏であり、それに付きしたがっている眷属たちはまた決して彼の独自な生きようはゆるさない。彼によって死に彼によって生きていた。さらにはまた、世の中をこんなかたちにまで荒した張本人は尊氏ではないかと、彼の虫のいい隠棲のねがいなどは、山林の松柏もゆるさじと吠え拒むもののように見えた。そしていつも尊氏の官能にはその怒れる山林の声が蕭々と背に聞えているのであった。

十月の末である。