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はこねのやま
箱根の山
田中 英光
「文藝春秋 別冊2」1946(昭和21)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,963 字 · 33 页
とついて来るから、私はまた上機嫌で、「ほら、じゃあ一緒に歌うんだよ」と音痴の大声で、「箱根の山は天下の険」一郎には文句が難しいと見え、舌を縺らし、「ハコネノヤマハエンカノケン」、「エンカじゃない、テンカ、つまり世界でも嶮しい山だと言うのだよ。分った」、「ウン」私の説明も怪しく、一郎の返事も、空返事だ。「じゃあ、ほら函谷関もものならず」、「カンコクカンモムネナラジュ」、「なんだ一郎、それじゃあ、なにを言っているのか分らないじゃないか。函谷関と言えばね、支那にある嶮しい山のお関所のことだよ」
そう説明しながら、私は北支那に出征当時、行軍の疲労の底にあって、この眼で見た、函谷関の険を彷彿と思い浮べていた。それこそ下を見れば眼の廻るような暗い千仭の谷底に、上流で河幅一里に余る大黄河が、ここでは僅か三尺の幅にしか見えない程の狭さで、唸りながら光りながら、一瞬の碧をひらりと飛ばし、風のように流れている凄まじさで、それに比べれば、ここ箱根の険なぞ、箱庭と真物の違いだと思えたが、それにしても箱根には箱根で明るい可憐な日本の美しさがある。その美しさにふさわしいこの歌を是非、一郎に覚えさせねばならぬと、「箱根の山は天下の険、函谷関もものならず」