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しぜんびょうしゃにおけるしゃかいせいについて

自然描写における社会性について

宮本 百合子

不詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,820 字 · 12 页

青空文庫

」こうして雨の中を心地わるく学校へ来た三吉と一郎とが、その日雨という題で作文を書かせられたとしたら、この二人の、全く違う境遇の少年らは、各自の心に映った雨をどのように描くであろうか。一郎が、僕は雨の日は面白いと思うと、雨の中を闊歩する活溌な描写をし、三吉が、僕は雨の日はきらいだ、歩くにも気持がわるいしと書いたとして、先生がもし皮相的にその文章をよんで、一郎がより生活力をもち溌溂とした子であり、三吉の方は消極的であると判断したら、どうであろう。それはそれぞれの子供の社会的現実を理解しているといえるであろうか。

更に、この二つのタイプには属さないもう一つの態度が、子供の作文の中にもあらわれ得る。それは、自分の生活とはきりはなして雨を眺め、春雨はやさしく柳の糸をぬらしています云々のいわゆる美文的作文である。

然し、この美文的作文が自然描写の場合には非常に多くのパーセントを占めている。そのことは過去の文学の大きい一つの特徴として、こんにち私たちの注目をひくのである。過去の文学において、日本のみならずヨーロッパでも、自然は美なるもの、無垢なものとしての先入観によって、到って観念化されて扱われて来ている。