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えんしょ
艶書
山本 周五郎
「小説倶楽部」桃園書房、1954(昭和29)年5月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 25,027 字 · 50 页
そうして、彼は帰宅してもそのことは誰にも(母にさえも)黙っていた。それには理由があったのであるが、――
「これでよし」と出三郎は手をこすりながらひとり言を云って、「ついでに藩校のほうも退学しよう、そしてこれからは矢立と帳面を一冊と弁当を持って、毎日ゆっくり歩きまわるんだ、しめたぞ」
そしてその夜、彼は新村家の宵節句に招かれた。
宵節句の招待は毎年の例であった。新村は隣り屋敷で、家格は岸島よりやや低く、主の勘右衛門は七百二十石の中老を勤め、夫婦のあいだに二男一女があり、末娘の七重と出三郎とは幼なじみであった。家族同士も往来しないことはないが出三郎と七重とが両家の交際を代表しているようなものであった。――七重は彼に似て(これまた末っ子にもかかわらず)おっとりと無口なたちで、兄たちとは年もはなれているし、ほかにまだ友達のないじぶんは、庭のすみなどでしょんぼりとひとりで遊んでいるというふうであった。髪の毛が少しあかく、まる顔のおちょぼ口で、眼はいつも泣いたようにしっとりしているし、ふっくらとした頬には水蜜桃のようなこまかい生毛が生えていて、笑うと唇の両はしにえくぼがよれた。