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えんしょ
艶書
山本 周五郎
「小説倶楽部」桃園書房、1954(昭和29)年5月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 25,027 字 · 50 页
――あたくちあなゑというのよ。
彼女は初め自分の名をそう教えた。舌っ足らずに訛ったのだろう、のちには直ったけれども、初めのうちはわからなくて出三郎はどう呼んでいいか当惑したものであった。
両家の庭境は笠木塀になっているが、一部だけ柾木の生垣のところがある。二人はその生垣の間をぬけて、どちらかの庭へ入って遊んだ。二人ともほとんど口をきかない、誇張していえば聾か唖のようなぐあいで、ちょっとした手まねや身ぶりや、簡単なめくばせなどで充分に用を弁じた。これはお互いが成長するにしたがって幾らか違ってはきたが、根本的には変化がないといってもいい。新村夫人のせき女などは、しばしば不審そうな眼つきで、二人を見くらべながら云うのであった。
――あなたたちってまったくへんよ、なんにも云わないのにお互いの気持がそんなによくわかるなんて、まるで暗号ででも話してるみたようだわ。
彼が宵節句に招かれることは、母親のかな女だけしか知らなかった。父や兄たちにはずっと内証だった、知っていたら許されなかったばかりでなく、たぶんあたまから叱りつけられ、軽蔑されたことであろう。雛祭りだから集まるのは女性ばかりだし、そんな席へ武家の男子たる者がのこのこでかけてゆくなどということは、まったく常識はずれだったからである。