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えんしょ

艶書

山本 周五郎

「小説倶楽部」桃園書房、1954(昭和29)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 25,027 字 · 50 页

青空文庫

であるが、少しまえからはあなたにお会いしても苦しく、お会いしなければなおさら、ただもう悩ましく辛い時間ばかり続くようになった。あなたはもちろん御存じないだろう、自分もお会いすればなにも云うことはできない、けれどもこのおもいを一生胸に秘めたまま終わらせるのはあまりに悲しいので、不躾けではあるけれど手紙に書いてさし上げる気になった。あなたにお渡しする機会があるかないかわからないが、もしお手に取るときがあったら、こんな娘がいるということを思って、あわれんでやっていただきたい。

そして最後に「恥ずかしいからわざと名は書かない」ということが記してあった。

読み終わったとき、出三郎の顔は赤くなっていた。胸がどきどきし、ひどく口がかわいた。「誰だろう」と呟やき、もういちど読み返した。誰だろう、その着物の袂に入っていたのだから、新村家にいた娘たちの誰かに相違ない。

「七重だろうか、いやそうではない」と彼は首を振った、「渡す機会があるかないかわからないと書いてある、七重ならそんな機会はいくらでもある、井口のかしこという娘はまえから新村でよく会うが……しかしいちばん親しいのは永田の松枝だろう、けれどあの娘は縁談が定っているはずだ」