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きくちよしょう

菊千代抄

山本 周五郎

「週刊朝日春季増刊」朝日新聞社、1950(昭和25)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,178 字 · 72 页

青空文庫

父の訪ねて来る回数はずっと減った。月に二度はたいてい来るが来ないときもあった。そのころ父は若年寄から老中になっていた。

「侍女を使ったらどうだ。これではあまり殺風景ではないか」

「いいえ侍女はいりません、松尾で用が足りますから」

「しかし少しはうるおいがないといけない、ここはまるで僧坊のようにみえる」

従前どおり来ると酒を出し、菊千代と膳を並べて飲みながら話すが、父は昔のように楽しそうではなく、ふとすると菊千代の姿から眼をそらすようにした。

――自分のおとこ姿がお気に召さないのだ。それは疑う余地がないと思った。すると強い反抗心が起こった。自分をこのようにしたのは父ではないか、初めから理由を知らせて呉れたのならともかく、十五までなにも教えず、男であることに些かの疑いももたなかった者に、いきなり女になることができるであろうか。そのうえ、男で一生くらすのもよかろうと、父が自らすすめたのではないか。

「分封して頂けるのはいつのことでございますか」

反抗心が起こると菊千代はよくこう云った。

「まだ分封しては頂けないのですか」

貞良は明らかに迷いだしたようだ。そう簡単にはゆかぬとか、考えているとか、もう暫く待てとか、なかなかはっきりした返辞はしなかった。