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きくちよしょう
菊千代抄
山本 周五郎
「週刊朝日春季増刊」朝日新聞社、1950(昭和25)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,178 字 · 72 页
「――今でも、そう思って呉れるか」
菊千代は乾いたような声で云った。
「菊千代を、今でも、哀れと思って呉れるか」
半三郎の肩が微かに震えた。
「――菊千代がどんなに可哀そうな者であるか、半三郎は知っている筈だ、八千石の屋形のあるじで、気儘勝手にくらしていながら、その日に窮している貧しい農夫が羨ましい、夫婦親子のむつみあう姿を見ると、羨ましいと思いこの胸が嫉妬で裂けるようだ、……半三郎、おまえにはそれがわかる筈だ、半三郎だけは今でも菊千代を哀れと思って呉れる筈だ」
喉へこみあげていたものが、抑えきれなくなって、菊千代は両手で顔を掩い、耐えかねて嗚咽した。それからふいに、衝動的に夜具をすべり出て、半三郎の膝へ身を投げかけて、泣き咽びながら訴えた。
「菊千代を女にしてお呉れ、半三郎、そのほかにしあわせになる法はない、生涯を賭けてと云ったではないか、……それなら菊千代を女にしてお呉れ、おまえのほかには誰もいない、半三郎だけが、おまえだけがそうして呉れることができる……菊千代を哀れと思うなら、おまえの手で、この手で……」
身をふるわせて、菊千代は彼の手を掴み、その手へ頬を激しくすりつけた。