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おちむしゃにっき

落武者日記

山本 周五郎

「講談雑誌」博文館、1941(昭和16)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,460 字 · 23 页

青空文庫

……御主君は無事なのだ、どこかにまだ生き延びて在すのだ、……そう思うと、一瞬まえまでの絶望の中に、微かながら一筋の光がさしてくるのを感じた。

「いかにも」

と彼は声高く答えた。

「主君、治部少輔の殿の御在所は知っております」

「それを聞きたいのじゃ」

「……ほう」

「五日や十日生き延びられようとて、しょせん覆水は盆にかえらぬ、治部どのの名のためにも、早く始末をつけるほうがよかろうではないか。……治部どのはどこにおらるるの」

「さぞお知りになりたいでございましょうな」

「聞かずにはおかぬじゃ」

「さて、……どうありましょうか」

老人の細い眼が、そのとき、かすかにきらりと光を放った。……そして、皺をたたんだ丸い指で、静かに膝を撫でながら、

「あれを見い、あの幕の側にあるものを」

と右手を顎でしゃくった。……そこには、一見して拷問道具と分る物が、乾いた血の痕をどす黒く滲ませて、並んでいた。祐八郎はつくづくと見てから振返った。

「責め道具でございますな」

「体は弱いものじゃ」

家康は柔かい撫でるような声で云った。

「心はどのように固くとも、人間の体が苦痛に堪えられる限度は知れたもの、今までに何十人となくその証拠を見せている、……どうじゃ、試してみるかの」