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おちむしゃにっき

落武者日記

山本 周五郎

「講談雑誌」博文館、1941(昭和16)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,460 字 · 23 页

青空文庫

三の一

「それでは、あなたさまはまだ、御存じありませんのですか」

「知らぬとは、なにをです」

「佐和山のお城は陥ちました」

「……陥ちた」

祐八郎は愕然と声をあげた。

「それは、本当ですか」

「はい井伊、脇坂、小早川の軍勢が攻めかかり、昨日の朝とうとう落城したと、見て来た人の話でたしかに聞きました」

「……そうか。……ついに佐和山も、落城か……」

絶望と悲憤とで、祐八郎は身も心もうちのめされてしまった。……たった一つの希望、残された唯一の死場所がなくなったのだ。

祐八郎の絶望をそれと察したのであろう、娘はそっとすり寄って、

「もしあなたさまさえおよろしかったら」

と心を籠めた調子で云った。

「この家でお怪我の養生をあそばしませぬか、そのうちには治部少輔さまのお行衛も知れましょう。それからお駈けつけなさいましても遅くはないと存じますが」

「ありがとう……できればそうしたいのだが」

祐八郎はそう云いながら娘の眼を見上げた。

三の一

娘の眼は、朝のときのように泪をためていた。眉のあたりに、男を憐れみいとしむあたたかい愛情が、溢れるように滲んでいた。

――若菜。

祐八郎はそう呼びたかった、しかしようやくそれを抑えつけた。