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おちむしゃにっき
落武者日記
山本 周五郎
「講談雑誌」博文館、1941(昭和16)年4月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,460 字 · 23 页
一の二
……しかし、瞼が落ちるより早く、鮮かな幻想が彼の脳裡に甦ってきた。
それは今から三日まえ、すなわち、慶長五年九月十五日、関ヶ原に展開された合戦の、ある忘るべからざる一瞬の記憶であった。
一の二
眼もあけられぬほどもうもうと、渦巻きあがる土けぶりだった。夜明け前からはじまった合戦は、午の刻にいたって、今その最高潮に達していた。
押し寄せ、揉み返す人馬の叫喚が、撃ちあう太刀、槍、あらゆる武具の響音とともに、すさまじく山野を震撼していた。敵味方の旗さしものが、まるで芒の穂波のように、土けぶりで茶色に暈かされた戦場を、縦横にいりみだれ、押し返し、波をうちつつ、しだいに東へ東へと移動していた。
――味方の勝ち目だ。
――見ろ、徳川家康の本陣が崩れだしたぞ。
――最後のひと押しだ。
みんなそう信じた。事実、混沌としていた乱軍のかたちが、今やもっとも微妙な勝敗の分水嶺に登りつめ、石田軍はまさに勝利の一瞬をわがものにしたと見えた。
じつにそのときであった。
味方の右翼から、眼に見えぬ一種の波動が、電撃のように全軍の上に脈搏ってきたと思うと、もっとも怖れていた叫びが人々の上で炸裂したのである。