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たでくうむし
蓼喰う虫
谷崎 潤一郎
「大阪毎日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月17日<br>「東京日日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月18日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 110,066 字 · 216 页
事実要は老人に仕えているお久でなくとも「お久」でさえあればいいであろう。彼の私かに思いをよせている「お久」は、或はここにいるお久よりも一層お久らしい「お久」でもあろう。事に依ったらそう云う「お久」は人形より外にはないかも知れない。彼女は文楽座の二重舞台の、瓦燈口の奥の暗い納戸にいるのかも知れない。もしそうならば彼は人形でも満足であろう。
「ああ、お蔭様でさっぱりしました」
と、要はその声で自分の妄想を振り落すように云いながら、借り物の浴衣を湯上りの肌へ引っ掛けて戻った。
「きたのうて心悪おしたやろ」
「なあに、丁子風呂もたまには変っていていいですよ」
「けど、お宅のお風呂場みたいに明うしたら、あてえ等よう這入りまへん」
「どうしてです」
「あないに何処も彼処も白おしたら晴れがましおしてなあ。………あんさんとこの奥様みたい綺麗おしたらよろしおすけど。………」
「へえ、そんなにうちの女房は綺麗かしらん?」
要は眼の前にいない人に軽い反感と嘲りの心もちを含めて云いながら、すすめられるままに杯を受けて器用に乾した。
「さ、一つ差上げましょう、………」
「そうどすか、そんなら戴きます」