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とらがり

虎狩

中島 敦

「光と風と夢」1942(昭和17)年7月15日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 24,260 字 · 48 页

青空文庫

その時にはもう私には、此の男が自分の旧知の一人であることは確かだった。ただそれが誰であったかが疑問として残ったに過ぎない。

相手は此方の会釈を見ると、此方も向うを思い出したものと思ったらしく、私の方へ歩み寄って来た。が、別に話をするでもなく、笑顔を見せるでもなく、黙って私と並んで、自分の今来た道を逆に歩き出した。私も亦黙ったまま、彼が誰であるかを、しきりに思い出そうと努めていた。

五六歩あるいた時、その男は私に嗄れた声で、――私の記憶の中には、どこにも、その様な声はなかった――「煙草を一本くれ」と言い出した。私はポケットを探して、半分程空になったバットの箱を彼の前に差出した。彼はそれを受取り、片方の手を自分のポケットに突込んだかと思うと、急に妙な顔をして、そのバットの箱を眺め、それから私の顔を見た。暫くそうして馬鹿のような顔をして、バットと私とを見比べた後、彼は黙って、私が与えたバットの箱をそのまま私に返そうとした。私は黙ってそれを受取りながらも、何だか狐につままれたような腑に落ちない気持と、又、一寸、馬鹿にされたような腹立たしさの交った気持で、彼の顔を見上げた。