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へび

蛇

森 鴎外

「中央公論 第二十六年第一号」1911(明治44)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,073 字 · 23 页

青空文庫

もし有るとしても、広い国に一人あるとか、千百年の間に一人出るとかいうもので、実際附き合っている人の中には、そんなものの有りようがない。善い事をしたり言ったりするというのは、ためにする所があるので、自分を利するのである。卑劣である。これに反して、悪い事は誰もしたい。しかしそれを吹聴するには及ばないから、黙っている方が好い。よしまた言うにしても、悪い事の方なら、正直に言うのであるから、虚偽でもなければ、卑劣でもないと云うのです。わたくしは妻が優しい顔をして、美しい声でそんな事を言うのですから、馬鹿らしくもあり、不思議にも思っていました。そのうちに妙な事があったのです。去年でしたか、東京にいた頃、学校で心安くした友人が温泉へ来たというので、わたくしの所へ寄りました。その男がこう云う事を言ったのです。妻を持って子供が沢山出来た。ところが、その妻が authority というものを一切認めぬ奴で、言う事を少しも聞かない。それでは親に済むまいとか、お上に済むまいとか、神様に済むまいとか、仏に済むまいとか、天帝に済むまいとか云おうとしても、どれもこの女に掴まえさせる力草にはならない。