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ほたる

蛍

織田 作之助

「文芸春秋」1944(昭和19)年9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,875 字 · 21 页

青空文庫

伊助は鼻の横に目だって大きなほくろが一つあり、それに触りながら利く言葉に吃りの癖も少しはあった。

伊助の潔癖は登勢の白い手さえ汚いと躊躇うほどであり、新婚の甘さはなかったが、いつか登勢にはほくろのない顔なぞ男の顔としてはもうつまらなかった。そして、寺田屋をいつまでもこの夫のものにしておくためなら乾いた雑巾から血を絞りだすような苦労もいとわぬと、登勢の朝は奉公人よりも早かったが、しかし左器用の手に重い物さげてチョコチョコ歩く時の登勢の肩の下りぐあいには、どんなに苦労してもいつかは寺田屋を追われるのではなかろうかというあらかじめの諦めが、ひそかにぶらさがっていた。

そのころ、西国より京・江戸へ上るには、大阪の八軒屋から淀川を上って伏見へ着き、そこから京へはいるという道が普通で、下りも同様、自然伏見は京大阪を結ぶ要衝として奉行所のほかに藩屋敷が置かれ、荷船問屋の繁昌はもちろん、船宿も川の東西に数十軒、乗合の三十石船が朝昼晩の三度伏見の京橋を出るころは、番頭女中のほかに物売りの声が喧しかった。あんさん、お下りさんやおへんか。お下りさんはこちらどっせ、お土産はどうどす。