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いなごのだいりょこう
蝗の大旅行
佐藤 春夫
「童話」コドモ社、1921(大正10)年9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,317 字 · 7 页
突然、発車の鈴がひびくと痩せた紳士は慌てて太った紳士にもう一度お辞儀をしておいて、例の麦稈帽子を冠ると急いで向き直って歩き出した。その刹那に、今までじっとしていた蝗は急に威勢よく、大飛躍をした。古ぼけた麦稈帽子からひらりと身をかわすと、青天鵞絨の座席の上へ一気に飛び下りた。
「田中君!」
太った紳士が急に何か思い出したらしく、僕のわきの窓から首を出して、痩せた紳士を呼びとめた時には、汽車はもうコトコトと動き出していた。しかし太った紳士がその隣から慌てて立ち上ろうが、汽車が動き出そうが、太った紳士が再びその傍へ大きなお尻をどっかと下して座席が凹もうが、二等室の一隅、ちょうど私の真向うに陣取った例の蝗は少しも驚かなかった。長い二本の足をきちんと揃えて立てて、蝗はつつましくあの太った紳士の隣席に、その太った紳士よりは、ずっと紳士らしく行儀よく乗っかっている。
僕は汽車に乗り込んだ蝗を見るのは生れて初めてである。田中君の帽子から汽車へ乗り換えた蝗のことを考えると、僕は――子供のような気軽な心になっている僕は、可笑しさが心からこみ上げて来て、その可笑しさで口のまわりがもぐもぐ動いて来る。