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ちょうのえ

蝶の絵

久生 十蘭

「週刊朝日別冊 記録文学特集号」1949(昭和24)年9月10日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 24,644 字 · 49 页

青空文庫

と語ったようなことは、まったくなかったのである。

事件はすべて過去のものになり、比島の残虐事件の実相も、戦争の記憶といっしょに忘れ去っていいはずだったが、花にも草にもイメージがまつわりついていて、払おうにも払えぬ鬱陶しさだった。思ったより衰弱がはげしく、現実までが幻めいた様相をしめすようになり、自分は、社会の人と物から切り離された存在で、人間的な交渉を持つ権利がないというような理由のない絶望感に悩まされた。

「自分の思想を隠す最良の方法は、それを考えないことだという理窟は知っているが、忘れるとか、考えずにいるということぐらい、困難な仕事はない。なにを見てもすぐ思いだし、つい考えこんでしまう」

山川の心霊をたえず脅かしてやまぬのは、発覚すれば絞首刑だという単純無比な観念で、すべてが平和にかえり、世間が安定すればするほど、恐怖はいよいよ増大して、埓もないまでになった。

どんなつまらぬことが発覚の端緒にならぬものでもないと、六年間の行動の辻褄をあわせることに苦心し、これならどこから突つかれても金城鉄壁というところまでやったつもりだったが、復員祝いの席で、「君の面は、美食して安楽に暮していた面だ」