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はえ

蠅

宮本 百合子

「若草」1926(大正15)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,279 字 · 7 页

青空文庫

蠅

宮本百合子

梅雨にはひろいものの晴れ上った天気である。俄にかっと照りつけられ数日の霖雨がしみこんだ地面から眩ゆく陽炎(かげろう)がもえている。源一は、茶の間に腹這いになって新聞をよんでいた。台所の方からは、この好晴を喜んだ母親が、勢よく洗濯物を濯いでいる水の音がする。源一がちょうど読みかけている「今夏の周遊は朝鮮と浦塩」という記事の真中へ、蠅が一匹翔(と)んで来てとまった。小さい、翅の艶もまだ充分出ていないこの蠅はまるで、重大な決心をしてここに翔び下りたので、この一等二十八名という五字のポイント活字の間から大事な営養を吸い取る義務があるのだと、体中で宣言しているような様子で、せわしなく勿体ぶり、活字の上を這い廻る。後脚をすり合わせ、呪文を称えるようなことをする。――源一は小癪な様子が滑稽であった。一体、こんな小さい存在である蠅に、人間はどんな巨大な生きものに見えるだろう。この蠅にしろ、一目で人間一人の顔や体の全体が見られるものなのであろうか。蠅は、人類という、地球上の共棲者に対しどんな概念をもっているのか。源一は、小学校の理科で蠅や蜻蛉(とんぼ)が複眼だということを教ったのを思い出した。