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しんらん
親鸞
三木 清
「展望」1946(昭和21)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,550 字 · 73 页
次に像法というのは、像とは似なりといわれ、この時代には教があり、行があって、正法の時に似ている。教法は世にとどまり、教をうける者は能く修行するが、しかし多くは証果を得ることができない。教行は存するが、証は存しない。これを像法と名づける。第三の末法の時においては、教法は世に垂れ、教をうける者が存しても、よく修行することができず、証果を得ることができない。ただ教のみあって、行も証もともになくなる。末とは微なりといわれ、教があってもないごとくであるから、末法と称せられるのである。これら三時を過ぎて教法すらない時期は「法滅」と呼ばれている。かくのごとく正像末の思想は教行証の三法を根拠として時代の推移を考える歴史観であることが知られる。
ところで親鸞は『教行信証』の同じ箇所でまた『安楽集』によって、仏滅後の時代を五百年ずつに区分する『大集月蔵経』の説を採り上げている。「大集月蔵経にのたまはく、仏滅度ののちの第一の五百年には、わがもろもろの弟子、慧を学すること堅固なることをえん。第二の五百年には、定を学すること堅固なることをえん。第三の五百年には、多聞読誦を学すること堅固なることをえん。