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しんらん
親鸞
三木 清
「展望」1946(昭和21)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,550 字 · 73 页
無常の思想はもとより単に美的な観照にとどまるものではない。それはしかしより高い段階においても観想に結びつく。芸術的観照から哲学的観想に進む。仏教における無常の思想は我々をここまでつれてくる。しかし美的な観照も哲学的な観想も観想として非実践的である。これに対して親鸞の思想はむしろ倫理的であり、実践的である。浄土真宗を非倫理的なもののごとく考えるのは全くの誤解である。親鸞には無常の思想がない。その限りにおいても彼の思想を厭世主義と考えることはできない。
親鸞においては無常感は罪悪感に変っている。自己は単に無常であるのではない、煩悩の具わらざることのない凡夫、あらゆる罪を作りつつある悪人である。親鸞は自己を愚禿と号した。「すでに僧にあらず俗にあらず、このゆへに禿の字をもて姓とす」といっている。承元元年、彼の三十五歳のとき、法然ならびにその門下は流罪の難にあった。親鸞もその一人として僧侶の資格を奪われて越後の国府に流された。かくして、すでに僧にあらず、しかしまた世の生業につかぬゆえ俗にあらず、かくして禿の字をもって姓とする親鸞である。しかも彼はこれに愚の字を加えて自己の号としたのである。