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しけんかん

試験管

寺田 寅彦

「改造」1933(昭和8)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,595 字 · 20 页

青空文庫

たとえば夏の夕に町を歩いていて、ある、ものの酸敗したような特殊なにおいをかぐと、自分はどういうものかきっと三つ四つのころに住んでいた名古屋の町に関するいろいろな記憶をよび起こされる。たとえばまた、銀座松屋の南入り口をはいるといつでも感じられるある不思議なにおいは、どういうものか先年アンナ・パヴロワの舞踊を見に行ったその一夕の帝劇の観客席の一隅に自分の追想を誘うのである。

郷里の家に「ゴムの木」と称する灌木が一株あった。その青白い粉を吹いたような葉を取って指頭でもむと一種特別な強い臭気を放つのである。この木は郷里の家以外についぞどこでも見たという記憶がない。近ごろよく喫茶店などの卓上を飾るあの闊葉のゴムの木とは別物である。しかし今でも時々このいわゆる「ゴムの木」の葉のにおいに似たにおいをかぐことがある。するときっとこの昔の郷里のゴムの木のにおいを思い出すと同時にある幼時の特別な出来事の記憶が忽然とよみがえって来るのである。

なんでも南国の夏の暑いある日の小学校の教場で「進級試験」が行なわれていた。おおぜいの生徒の中に交じって自分も一生懸命に答案をかいていた。