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ちょうかきんむ

超過勤務

山本 周五郎

「文藝朝日」朝日新聞社、1962(昭和37)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,619 字 · 31 页

青空文庫

んだからな、これあればこそ、どうにかくらして来られたんだから、文句はないさ」

彼はいま届いた書類と、大きい帳簿との照合をはじめた。陽気な感情を駆りたてようとして、彼は低く鼻唄をうたい、顔の筋肉をほぐした。そうすれば気分もしぜんと明るくなるし、愉快に仕事ができると信じているらしい。彼は自分をあやすように、わざと眼をむいたり、舌さえ出してみたりした。

「人間は気の持ちようだからな、おい木内徳三」と彼は自分に呼びかける、「世間には失業して職のない者、停年退職でおなさけの夜警に雇われる者さえいるんだぞ、おまえなんか幸運児といってもいいんだ」

彼は照合を続ける。

「この店へはいれたからこそ」と彼はうわのそらで呟く、それはいつも自制心を呼びおこすため、習慣になっている内心の呟きのようであった、「とにかく結婚もし、五人の子供も育ててこられた、店がつぶれて職捜しにとびまわるようなこともなかったし、くびにされて途方にくれたこともない、超過勤務のおかげで、ほかの者より収入も多かった、実収入はいまでも副部長より多いくらいだろう、なんの不平があるか、来年になれば伜も大学を出る、そうすれば一と息つけるというもんだ、ざまあみろというところさ」