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かぜたちぬ
風立ちぬ
堀 辰雄
序曲、風立ちぬ「改造」1936(昭和11)年12月号、冬「文藝春秋」1937(昭和12)年1月号、春「新女苑」1937(昭和12)年4月号、死のかげの谷「新潮」1938(昭和13)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 54,998 字 · 108 页
少くともそれだけで、おれはおれの心を縛りつけていられるものと思っていた。――が、おれ達はあんまり高く狙い過ぎていたのであろうか? そうして、おれはおれの生の欲求を少し許り見くびり過ぎていたのであろうか? そのために今、おれの心の縛がこんなにも引きちぎられそうになっているのだろうか?……」
「可哀そうな節子……」と私は机にほうり出したノオトをそのまま片づけようともしないで、考え続けていた。「こいつはおれ自身が、気づかぬようなふりをしていたそんなおれの生の欲求を沈黙の中に見抜いて、それに同情を寄せているように見えてならない。そしてそれが又こうしておれを苦しめ出しているのだ。……おれはどうしてこんなおれの姿をこいつに隠し了せることが出来なかったのだろう? 何んておれは弱いのだろうなあ……」
私は、明りの蔭になったベッドにさっきから目を半ばつぶっている病人に目を移すと、殆ど息づまるような気がした。私は明りの側を離れて、徐かにバルコンの方へ近づいて行った。小さな月のある晩だった。それは雲のかかった山だの、丘だの、森などの輪廓をかすかにそれと見分けさせているきりだった。