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しょくよく
食慾
豊島 与志雄
「中央公論」1935(昭和10)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,672 字 · 20 页
「こちらから見えるあの岩の間を、降りてくるんだ。明日見ていてごらん、相図をしてみせるから。大丈夫危いことなんかあるものか。たとえあったところで、手足の皮をすりむくくらいだ……。」だけど私は、そんな危険のことなどを考えてるのではありませんでした。私は、噴火口に身を投げて死ぬ人たちのこと、その人たちの心の中などを、考えてるのでした。もしも私が、この病弱な孤独な……孤独という感じを持つのは、私の方がいけないのでしょうかしら……その生活を悲しんで、そして……いろんなことがあって……野口に、一緒に死にましょうと云ったら、野口はどんな顔をするでしょう。自殺者などとは余りにもかけ離れた人種のように、その時私は野口のことを感じました。それが私にとっては、どんなに淋しいことだったか分りません。草鞋脚絆に、水筒と弁当とを背負った、元気ないでたちの人々をのせて、峯の茶屋まで行く自動車が、闇の中に消え去ってゆくのを、私はじっと見送りました。野口は最後に、散歩にでも行く時のような一寸した笑顔を私に見せたきりでした。私の存在なんか、彼にとっては何でもないのです。
他の人たちが戻っていった後まで、私はぼんやり立っていました。