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しょくよく

食慾

豊島 与志雄

「中央公論」1935(昭和10)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,672 字 · 20 页

青空文庫

そして浅間葡萄の茂みの上に腰を下し、わざと、煙草を一本もらって、戯れにふかしました。

すぐ後ろの方、見上ぐるばかりに聳えてる浅間山の横手から、大きな夕立雲が盛上っていて、それが太陽をかくし、六里ヶ原は半ば影になって、冷々とした空気が流れていました。が遙か彼方の空は、一杯に日の光を含んで、白根や万座の山々がくっきりと浮出していました。それらの広茫たる景色を眺めていますと、私はひどく心細くなって、もう木村さんのことなんか頭になく、相変らず悠々と歩いてくる野口の姿を、力強く感じました。けれどその力強さは、自分の孤独感を益々深めるような性質のものでした。夕立雲は、見上げていると、むくむくとふくれ上って、今にも凡てのものを蔽いつくそうとしてるがようでした……恰度、数日前のように……。

あの時、私達は家の縁側にいて、夕立雲が空を呑みつくしてゆくのを眺めていました。雲に空がかくれて、向うの小山から谷間へかけて、暗澹とした影がたれこめたかと見るまに、ぱらぱらと大粒な雨がきて、いきなり、ぴかりと……それはもう光とも響きともつかないものでした。私は室の奥にとんで行きました。