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ばくせきざんそぞうのしさするもの
麦積山塑像の示唆するもの
和辻 哲郎
名取洋之助「麦積山石窟」岩波書店、1957(昭和32)年4月20日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,507 字 · 9 页
とすれば、タリム盆地は、アフガニスタンに次いで塑像を発達させた場所であったかもしれない。
麦積山は敦煌からはだいぶ遠い。ホタンから敦煌まで来れば、大体タリム盆地を西から東へ突っ切ったことになるが、その距離と敦煌から麦積山までの距離とは、あまり違わないであろう。それを思うと、麦積山が、タリム盆地の文化圏に非常に近かったとも言えないのであるが、しかしタリム盆地で発達した芸術や宗教がシナの本部の方へ入り込んで来る際に、敦煌から蘭州を経て長安や洛陽の古い文化圏に来たことは確かであろうし、蘭州と長安との中ほどにある麦積山がこの文化流入の通路にあって、いち早くその感化を受けたであろうことも、疑う余地がない。そう考えると、麦積山の塑像の示しているところは、渭水流域の彫塑の技術とか、住民の体格面相とかであるよりも、むしろはるか西方、タリム川流域に栄えていた諸都市における彫塑の技術、住民の体格面相などであるであろう。
四十何年か前に、スタインの『古代ホタン』を見て、中央アジアの砂漠のほとりに残っている古い都市の残骸から、いろいろな場面を空想したことがある。砂の中に埋もれてわずかに下半身だけを残していた塑像なども、それの好い材料であった。