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あなたもわたしも

あなたも私も

久生 十蘭

「毎日新聞」1954(昭和29)年10月29日~1955(昭和30)年3月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 133,405 字 · 263 页

青空文庫

風が出て雲が流れ、部屋のなかが、急にたそがれてきた。美術館を出るとき、鎌倉署の中村に顔を見られたことを、ひと言、愛一郎に注意してやりたかったが、そうしてみたって、どうなるものでもなかった。

「あたし、おいとましようかな。いずれお伺いしますから、そのとき、またゆっくり……」

カオルは、隙のない顔になって、

「でも、きょう、重大な用談があって、いらしたんでしょう?」

「用なんか、ないのよ。なんということもなく、ちょっとお寄りしただけ……」

カオルは、せんさくする目つきで、サト子の顔色をさぐりながら、

「あたしに、そんな挨拶をなさるのは、ムダよ。苗木のウラニウム鉱山の話なら、よく知ってるから……四日ほど前、パーマーや芳夫なんかといっしょに、熱海ホテルで、叔母さまにお逢いしたわ。坂田省吾という青年にも……」

坂田省吾というのは、荻窪や阿佐ヶ谷のへんを清浄野菜を売って歩く、色の黒い朴訥な青年で、去年の夏ごろからの馴染みだった。忘れたころに不意にやってきて、サト子が借りている植木屋の離家の前で牛車をとめ、縁に掛けて、半日ぐらいも話しこんでいく。

カオルが熱海で叔母に逢ったのは、ふしぎはないが、木の根っ子のようなモッサリした坂田青年が、熱海ホテルなどにあらわれるとは、考えられもしないことだった。