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いしがおごる

いしが奢る

山本 周五郎

「サンデー毎日臨時増刊仲秋特別号」毎日新聞出版、1952(昭和27)年10月19日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,304 字 · 45 页

青空文庫

「もういい、たくさんだ」

保馬は乱暴に遮った。いしは吃驚したように黙った、保馬は暫くしんとしていたが、やがて低い声で云った。

「いしが不仕合せだったことなど、おれは知りたくはない、いしはこれまでも仕合せだったし、これからも仕合せであってもらいたいんだ」

「ええ、もちろんです、いしはこのとおり仕合せですわ」

そして、こんどは明るく笑うことに成功した。けれども保馬にはやっぱり哀れにしかみえなかった。それは珍しく二人だけのときで、望湖庵のその座敷から見える切戸のあたり、すっかり暗くなった海の上に、漁舟の火が一つゆっくりと動いていた。まもなく、島屋と八幡屋の手代が来、いつもの仲居たちが揃ってから、いしは少し酔ったような調子で、

「本信さまの御縁談はどうなさいましたの」と云いだした、「もうお定りになったんですか、それともまだ……」

「だめのようだな」保馬はそっけなく、答えた、「あんまりばか遊びばかりしているんであいそを尽かされたんだろう、いちど招かれたがお顔も見せてくれないし、その後は来いとも云われないよ」

「なにか、御病気らしゅうございますな」島屋の手代が云った、「脊髄癆とか聞きましたが、もう長くおやすみになっているのではございませんか」