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おもかげ

おもかげ

宮本 百合子

「新潮」1940(昭和15)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,997 字 · 20 页

青空文庫

その時も制服のまま勉強部屋から下りて来た保は、何と云ったのだろう。責任をもって失くなったりはしないようにしておいてあげる。そんな風に云った。云いかたの調子に、どこか直接自分とは離したところがあるようで、朝子はそのときちょっと変な気がした。弟の冷淡さのように感じられた。あの頃から、彼の心に何か計画がされていたのであったろうか。

柔毛の生えた保の若々しい上唇のところや、細かいほそい横書きのノートでならされた手紙の丸い字が忽然と目に浮んで来て、朝子は露台を歩きながら涙をおとした。最後に貰った手紙で、保はこう書いていた。「姉サン、僕はこの夏は一つテニスでもやって大いに愉快にやって見ようと思います。科の選定はそれからのことです」その前のたよりでは、大学の科目をそろそろきめなければならないが多計代が哲学がいいというし自分もそう思うが、どうかとあった。その時分まだモスクワにいて、白夜のはじまりかけた永い夕暮の明るみの中で、朝子は哲学にはすぐ賛成出来ないと、書いた。保が長四畳の勉強部屋の入り口の鴨居に Meditation と書いた紙を貼りつけているのを、朝子は思い出したのであった。