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そのとし

その年

宮本 百合子

「宮本百合子選集 第五巻」安芸書房、1948(昭和23)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,964 字 · 28 页

青空文庫

「ああ、いい気持だ」

広い胸一杯の伸びをした。

馴れたところといってもやはり、ひとの家という気持があって、お茂登が来てからは親子もおのずと、うちでのような声では話さないのであった。

「十五日には、どうしたらよかろ。――広治を見送りによこそうか」

部隊は全部十五日にその市を出発して支那に渡ることにきめられているのである。

「ふむ……」

真面目な眼付になってしばらく考えていたが、

「じゃ、広治よこして下さい。おっ母さんは来ん方がいい。もうこれで十分じゃけ」

そして、源一は人なつこい眼尻に笑いを湛えて母親の顔を見ながら、

「人間の心持はおかしなもんだなあ」

と云った。

「わーっと旗をふっている大勢の何処におるやらどうでもわかりもせん癖に、あの中にうちからも来とると思うと、それだけで勢が大分ちがうそうじゃ」

「そらそうで! 広治を来さそう。やっぱりここへ朝早うに来れば分ろう?」

「うん」

だんだん胸がせまって来るのを、涙に溶かすまいとすると、お茂登の声と眼とは、おこったような力みを帯びた。

「ほんに、体だけは大事にすることで」

「うん」

「ほんとで。手の一つや足の一つないようんなって戻ったって、きっとおっ母さんが恥しゅうない嫁女持たす」