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あじさい

たそがれの人間 佐藤春夫怪異小品集

佐藤 春夫

佐藤春夫『たそがれの人間 佐藤春夫怪異小品集』。同一底本的分册已合并为一书。收入:あじさい、幽香嬰女伝、化物屋敷、緑衣の少女、私の父が狸と格闘をした話、幽明、柱時計に噛まれた話。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 41,277 字 · 84 页

青空文庫

或る夜、二人は向い合って食卓を倶にした上、いろんな話を語り合った。そうして彼は少女が音や律のことについてよく理解しているのを知った。彼は云った「若しお前が唄をうたったら、お前の唄のために私の魂が飛び去ってしまうにちがいない。」彼の女は笑いながらそれに答えた「あなたの魂が飛んで行ってしまっては大変です。」しかし彼が一そう強くたのんだ時、彼の女は言った「私は唄を吝むのではありません。ただ他人に聞かれるのが気になるのです。でもあなたのお頼みなら、よろこんで拙い芸をお聞かせいたしましょう。」それから少女は、しなやかに足拍子をとりながら寝床に身をもたせて歌った――

樹の上に黒い鷹が怖ろしい

深い夜にもわたしを眠らせない

それ故わたしはあなたの名を呼んで啼く。

わたしは気にもとめない――

わたしの絹の靴や、またそれを透して

雨がわたしを濡すことなどは。

ただ案じる、どんなにあなたが淋しかろうと

そうして、走る、ただ走る、あなたの方へ。

少女の声は絹糸のようにかすかであった。辛うじて聴きとれて、辛うじて分るほどであった。彼は身動きもせずうつりかわって行く高低の調子と、円転し、さては絶続する音律に聴き入った。