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シナーニしょてんのベンチ

シナーニ書店のベンチ

宮本 百合子

「文芸春秋」1928(昭和3)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,387 字 · 15 页

青空文庫

一ヵ月経った。モスクワの春がむら気に近づいてきた。雪がひどく降った。

雪の中を私はいつも変らぬ我が道伴れとともに借室を見に行った。そこから日本大使館へ廻った。本館の帝政時代のままの埃及式大装飾の中に、大使はぽつねんと日本の皮膚をちぢめて暮している。事務所は、離れた低い海老茶色の建物で、周囲の雪がいつも凍っている。今日は雪が氷の上に降った。

白いタイル張りの暖炉があって、上に薬罐がのっている。爺さんがいる。薬罐から湯気が立っている。我々の眼鏡は戸をあけた時曇った。そこで、私共はハガキと角石を包んだような小包を受けとった。事務所の粗末な郵便棚を、私共は一月に三四度見にくるのだが、先週もその前の週にもあった男名宛のハガキなどが今日迄も受けとられず、ざらついた棚の底にくっついているのを見ると、一種の心持を感じる。この水田達吉とたどたどしげな横文字で書かれた男はどこにいるのか。どんな気持で彼は暮しているか。音信を絶った心が感じられ、外国暮しの微な侘しさがある。――

私共は、待ち設けていもしなかった小包を受け、随分元気に歩いて、夕暮の散歩道をホテルまで帰ってきた。