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チェーホフしろん
チェーホフ試論
神西 清
――チェーホフ序説の一部として――
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,618 字 · 41 页
作品ににじみ出ている人情味を、決して彼自身が具えていたわけではない。また、チェーホフを褒めあげているメンシコフも、チェーホフが交際好きでありながら、胸襟を開くことにかけては自ら冷やかな限度のあったことを認めているし、夢中でチェーホフに惚れこんでいた情熱漢コロレンコでさえ、彼が完全に心の窓を開いたことのない代りには、誰にも一様の柔和さと親しさをもって接し、同時に恐らく無意識的な大きな興味をもって観察していたのであろうことを、やや寒々とした調子で述懐している。
同様のことが、チェーホフを崇拝していたブーニンの場合にも言える。優しい追慕の情にあふれた彼の回想記にもやはり、チェーホフの愛想のいい応対には必ず一定の距離が感じられ、いくら話がはずんで来ても、或る節度を失わず、ついぞ心の奥を覗かせるような隙を見せたことがない、おそらく彼の生涯には熱烈な恋など一度もなかったろう、――と言った記述を含んでいるからである。この最後の想像も当っているらしい。メンシコフの回想によるとチェーホフは、……小説家にとって女心の知識は、彫刻家における人体の知識と同じだ、と語ったとあって、彼もやはり、結局チェーホフはツルゲーネフと同様、恋をしにくい男だったろうとつけ加えている。